2008年9月30日火曜日

ホラー映画論

ホラー映画論「ホラーの演出」


幼少のころよりホラー映画が好きな管理人です。最近のホラー映画と昔のホラー映画の違いについて考えてみました。


70年代~90年代、このころのホラー映画って名作が多いんですよね(国を問わず)。最近のホラー映画であまり名作と呼べる作品を見た記憶がありません。ジャパニーズホラーは『リング(映画版)』以来、どうも低迷してしまっている気がします。心的なホラーはいいんですが、“女の呪い”などテーマが動かなくなっている気がします。まあ、とは言っても“女の怨念”や“水の恐怖”これは日本の伝統的なホラーですが。アメリカンホラーに関して言うと“似たような演出”、例えば幽霊(しかもCG)なんかが一瞬バっと出るみたいな、文章で説明するのは難しいですね、ようするに瞬間的に何かが“バっと出る”演出です(13ゴーストとかいい例ですかね)。そういう演出がどの作品でもなされていて正直飽きてきているところです。今回はアメリカや海外ホラーをメインに語ることとします。

今の映画ってほとんどCGじゃないですか。やはり、CGだとどうしても(どんなに成功にできていても)実写とアニメの共演という感じで両者の間に境界が生まれてしまう気がするのです。CGがないころの昔のホラーは基本的に特殊メイクや気ぐるみなどで現在のCG映画よりも遥かにギトギトしていて、なおかつCGと違い特殊メイクですが怪物を演じている役者さんが現実にその場にいるため、怪物の存在感がある気がするのですよ。CGだと動きを担当する人はいますが、どうしてもそこにアニメーションが重なってしまうため、“境界”が生まれてしまい現実感や怪物の存在感といったものが薄れてしまうのですよ。

現代の映画は例えば人の臓器でもかなりリアルに作っちゃっている場合があるんですが、自分はリアルすぎると逆にグロテスクさがなくなると思うのですよ。そこは敢えて「そんなの内臓じゃないだろ」といわれるかもしれませんが、丸いブツブツが連なったような作り物の臓器とギトギトした液体によって演出した方がグロテスクさが強調される気がします。ましてやCGではやはり演出的には弱いのですよ。ホラー映画では怪物や恐怖の圧倒的な存在感が重要だと自分は思うんですよ。アンリアルをリアルに近づけようとするCGよりもアンリアルを追求することによって、それが新たなリアルが誕生してくる気がするのですよ。

演出といえば、あと、影の演出ですかね。人間は得たいの知れないものを怖がります。ジョルジョ・デ・キリコというイタリアのシュルレアリズム画家がいます。『通りの哀愁と神秘』という作品はおそらく見たことがあると思います(因みに自分が始めて模写した絵です)。この絵は遊んでいる少女が左下に描かれていますが、彼女の行く先にはなにやら怪しい影が待ち構えています。建物が邪魔で影の主は見えません。影だけがそこに描かれているのです。また、同時にこの作品は影と光の明暗がはっきりしています。影…そこに得体の知れない恐怖というものが演出されているのです。

この影の演出で惜しいと思ったのは『呪怨』です。『呪怨』は序盤、不気味な影が人に覆いかぶさったりしているのですが、中盤からただ白塗りの顔の人間がそのまま出てしまっています。正体が分かってしまってはダメなんですよ。正体が分かった時点で「ああ、何だ人か…」ってオチがついっちゃっているんです。惜しい。

古い映画は画面の暗さがオドロオドロしさがかもし出されていてより怖さが増します。怪物も細部まで見えにくくなっています。見えにくいと、作り物でも得たいが知れない物体に見えて恐怖を感じさせるんです。逆にCGだとはっきり見せてしまうこともあります。

こういった演出が廃れてしまった現代。このようなホラー好きのツボをつくようなB級ホラーの名作は誕生しないのかも知れません。

まあ、他にも語りたいことはあるのですがこの辺にしておきましょう。ツッコミどころも多々あると思いますのでどうぞお気軽にコメントなどでどうぞ。

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